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第24話 謎の始まり

Author: 釜瑪秋摩
last update Last Updated: 2025-08-09 20:21:34

 朝霞家での生活も三週間が過ぎ、鈴凪はようやくこの古い屋敷の静寂に慣れ始めていた。廊下に薄く響く足音の種類で使用人を判別できるようになり、どの部屋でどんな時間を過ごせば理玖と顔を合わせずに済むかも覚えた。契約結婚という名の下に結ばれた関係は、まだ互いの心の内側に踏み込むほど深くはなっていない。

 午後の日差しが障子を通して柔らかく部屋を照らす中、私はまた、竹籠の中をあらためていた。

「そういえば、まだ見ていないものが……」

 呟きながら包みを解くと、褪色した手紙の束を手にした。和紙に毛筆で書かれた文字は時の流れで薄くなって読めなくなっているが、その中の一通を見て私は驚いた。封筒の裏に「朝霞理玖」と記されているのがかろうじて読み取れたから。

「朝霞理玖……朝霞様のこと?」

 私の胸の奥で、何かがざわめいた。なぜ曾祖母が理玖と手紙のやり取りをしていたのだろう。

 曾祖母は私がまだ物心つく前に亡くなっている……。

 理玖が曾祖母と関わりがあったとしても、まだ子どもであったはずなのに、こんな風に手紙のやり取りなどできるのだろうか?

『この街に紛れ込んでいる人ならざる者たち』

 慎吾の言葉が蘇ってくる。人ならざる者……妖であるならば、曾祖母と理玖の関わりは、私が想像しているものとは違うのかもしれない……。

『ちよさんには、いつか時雨家に何かあった時には助けてほしいと頼まれていました』

 理玖はそう言ったけれど、幼い子どもにそんなことを頼んだりするだろうか?

 何かを頼むのであれば、理玖の祖父や父など相応の相手に頼むのではないだろうか?

 なぜ、もっと早くにおかしいと思わなかったのだろう?

 私は手紙を置き、古い写真に手を伸ばした。

 まだ若い頃であろう曾祖母の隣

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